奴隷のような生活
人類の歴史は奴隷の歴史でした。独裁者の足の下に虐げられてきた歴史だというのです。解放の自由の国を熱望してきたのです。一般の人々が自由を享受できる国を。悪なる人々、悪なる支配者、悪なる独裁者からの自由を求めてきたというのです。行動の自由だけではなく悪からの自由です。
(2016年4月24日 礼拝より)
家庭連合の食口の生活は奴隷のような精神的に拘束された生活になっていないだろうか。
先祖の解怨祝福のためのお金集めとか、頻繁にやってくる特別献金の圧力とか、為に生きる生活よりお金が主体の生活になってしまっている現実。
何でもアベルの言いなりになるのは奴隷と同じです。それは正しい信仰とはいえません。
解放の自由をあじわうために、まず私たちはすぐできることからはじめましょう。
真の自由は神様からきます。神様のことを思って生活しましょう。話しかけましょう。相談しましょう。
それを続けられれば生活が変わるかもしれません。
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