honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

胸をうつ話

わたしは、このような話を聞きました。
ある真っ暗な夜、汽車が走っていました。前方には湖があり、その湖を渡る橋があります。それは、汽車がその湖を安全に渡ることのできる橋でした。ところが、その橋が崩れていたのです。
乗客がそのことを知らないまま、汽車は走っていました。あるおじさんが、その状況を見て、”わたしがスイッチを切り替えれば進路が切り替わり、汽車は安全な方向に行くことができる”と判断しました。時間はありません。早くスイッチを切り替えなければなりません。早くしなければ、汽車は、崩れた橋の方に行って湖に落ちてしまうのです。(分岐点で)別の方向に進路を変えてこそ、すべての乗客の命を生かすことができるのです。
ところが、一つ、問題がありました。ちょうどそのとき、自分の愛する息子がその別の(進路の)線路の上を歩いてきていたのです。そのおじさんには、全く時間がありません。どのようにしなければなりませんか?自分の息子がレ―ルの上を歩いてきているのです。スイッチを切り替えれば、汽車の進路が切り替わり、汽車に乗った人々を生かすことができるのですが、自分の息子は死んでしまうのです。息子を生かしたいと思えば、進路のスイッチを切り替えなければよいのですが、それでは、汽車に乗ったすべての人々は死んでしまうのです。このような途方もない苦悶!
皆さんがご存じのように、アダムとエバをはじめ、モーセ、アブラハム、イエス様は、使命を完遂することができませんでした。イエス様が使命を完遂することができなかったので、二千年間、神様は、お父様を待ち望んでこられたのです。ところが、お父様が来られた後に起きたさまざまな内容ーーー。韓国も、お父様を受け入れませんでした。
神様の立場では、このように長い間、真の父母様を待ち望んでこられ、長子権、父母権、王権を復帰することのできるかたがこの地に来られたのですが、神様にはとても大きな悩みがありました。それは、その汽車を見ているおじさんと全く同じ悩みでした。
”わたしが全世界を救うためには、この独り子を用いなければならない。もしわたしが、このスイッチを切り替えれば、この汽車に乗ったすべての人々は安全に行くことができるが、わたしの息子は死んでしまう。わたしの愛する息子、六千年間待ち続けてきた息子を生かせば、汽車に乗っているすべての人々を救うことができない。”
そのような苦悶を、神様はされるようになったのです。
もし皆さんがそのような状況に置かれたならば、どのようにされますか?神様はどのようになさいましたか?そのスイッチを切り替えたでしょうか、切り替えなかったでしょうか?皆さんがご存じのとおり、神様はそのスイッチを切り替えられました。世界を救うために、より多くの人々を救うために、その汽車を別の(息子がいる)方向に走らせなければならなかったのです。
皆さん、神様の心を考えてみてください。どれほど恐ろしく思われたでしょうか?汽車がその息子とぶつかることを知りながら、スイッチを切り替えなければならなかったのです。本当に地獄のような瞬間です。その心を考えてみてください。
しばらくした後、汽車がその息子とぶつかる音が聞こえたのです。目を閉じていても、音は聞こえました。幼い息子の叫び声も聞こえました。ところが、目を開けて見ると、なんと、その息子が汽車を止めていたのです。
皆さん、わたしたちが本当に父母の心を知るようになれば、わたしたちは、そのような痛みを感じることができます。その瞬間、神様は、本当に地獄に下りていかれました。数秒後に、自分の子供が汽車にぶつかって必ず死ぬだろうと思っていたのに、その息子が汽車を止めたときの神様の喜びを、皆さん、想像してみてください。皆さんに息子がいれば、その喜びを感じることができると思います。
ほかの人々を生かすために、説明もしてあげられないまま自分の息子を死の道へと送ったのです。その息子が勝利して生きたということ自体、どれほど、どれほど感謝なことですか?その六千年の間に積もり積もった恨の痛みが、一瞬のうちに百倍に増え、そして一瞬のうちに完全になくなったのです。
(亨進様のメッセージより 2008年7月1日 東京本部教会にて)



神様の心情がよくわかるお話です。


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