私たちは罪人です
私も自分の心を見ると、神様の前にいつも罪を犯しているのが分かります。罪とは何ですか?神様に傷を与えることです。私のすぐ隣に奥さんがいるのに、その夫人を無視すれば、その夫人は喜ぶでしょうか。悲しむでしょうか。気分を悪くするでしょうか。喜ぶか怒るか?怒るのです。そして、たびたび気分を悪くさせれば傷になりますね。
神様はいつも、私たちのすぐ横におられるのです。しかし私たちは、一日のうちでもどれほど神様を無視して生きているでしょうか。その、神様を無視するということ自体が罪なのです。
真の子女であり、原罪がなく、二世であり、全ての法に従ったとしても、私は罪人です。私の資格で、神様の前に出ることはできないのです。
宗教は”私たちは良いことをたくさんしたので、法律に従ったので、神様のみ言に従ったので、一生懸命やったので、神の前に出ることができる”と言いますが、それは完全な間違いです。
真理はこう言います。私たちは罪人ですから、神様の前に出ることができる理由は、私たちにあるのではない。神様の愛ゆえに送ってくださった息子(メシヤ)の蕩減と血と死によって、血を流し、汗を流し、涙を流したその犠牲によって、私たちは神の前に出ることができるのだと。
私たちがいくら天の前に責任を果たしたとしても、私たちは人間史の全ての罪悪を蕩減することはできないのです。皆さんもできないし、私もできません。ただ神様の二性性相から出てこられた、神様の本体から直接出てこられた神様の息子、ただ唯一それほど貴いかた、そのお一人を通して、人類の全ての罪、神様を傷つけた全ての罪を蕩減することができるのです。それは、メシヤと呼ばれている存在、キリストと呼ばれている存在です。それが真の父母様なのです。
(亨進様のメッセージより 2011年3月20日 東京)
真のお父様を愛し慕って、傷心の神様をお慰めできる私たちでありたいものですね。
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