honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

お父様のヘリコプター事故の証

昔、健康なときは飛び起きていましたが、きょうも起きるとき、座っていて立ち上がろうとするとき、足に力を入れ、手に力を入れるとき、拍子が少しずれても傾くのです。ですから、”年には勝てない”という語は正しいですね、ヘリコプター事故も、ありうることだと思うのですが、影響を大きく受けたようです。その環境にいるすべての人たちに対して心配するーーーーー。
(だれかが)”事故だ”と言うのですが、わたしがヘリコプターを知っている人ではないですか?ですから、幼い子供たちを周りに置き、お母様をそばにして事故が起きたというとき、泣き声が天下をすべて覆ってしまいました。そのときの思いをわたしは忘れません。
信俊は、今もその場所をはっきりと覚えています。最近、”お父さん、あの場所にお父さんは行っていないけど、ぼくは行ってみた。あそこが事故の起きた場所だけど、お父さんはそこに行かないで、行かないで”と言います。どれぼどひどい目に遭えばそのように言うでしょうか? ”行かないで”と言うのです。
父(に助け)を求める信俊の声を、わたしは今も忘れません。”お父さん!”。わたしが空中にぶら下がっていたときです。”あの孫たちがいるな”と思って、ありったけの力でぶらさがっていながらも、”わたしがいなければならない”と気力を振り絞り、そこで多くのことを考えながらーーーー。
今もそのことを考えます。それで、そばで見ていたその姿を見るとき、”あの息子、娘が天国に行くことができずに地獄に行けば、わたしはどこに行って暮らすのか?” このようなことを考えるのです。”どこに行って暮らすのか? 神様の心情がどれほどつらいだろうか?”と考えました。そして、足がこのように絡まっていました。このようによじれてーーーー。歩けない所を”この足よ”と思いながら、わたしが先頭に立ちました。また、”早く、早く、歩け。移動しろ”と、一歩でも遠くに行かなければなりません。爆発すれば、その周囲の数百メートルが火の海になるというのです。
このような事実ーーーー。そのような事情の中で、すべて天が保護してくださったのです。ありがたいことです。その知恵は、痛哭が伴います。今もそうです。それでも、わたしはヘリコプターに乗らざるをえません。
この間、武昌浦に行って苦労して帰ってくるときは、”ヘリコプターには乗らない”と言うお母様を、わざわざヘリコプターに乗せて帰ってきました。わたしたちの人生が、これから時間が必要な人たちがーーーー。”お母様もヘリコプターに乗らなければならない”と言ってーーーー。それに乗らなくなれば、それで終わるのです。(二度と)乗らなくなるというのです。


朱東文氏も、コデアクの海で(船から)落ちたのに、翌日に船に乗って出て行ったというのですが、それは正しいことです。船に乗らないわけにいかないではないですか?その翌日に船に乗ったというのです。
わたしは何度も(船から)落ちる事故を想像して、事故に遭ったらどのようにしなければならないかということを、船に乗るたびに考えます。自分が乗った船で事故が起きれば、それを避けようと、いつもロープを結んでおき、二階、三階に上がっていっても、必ずーーーー。わたしは、三階からまでは飛び降りることができます。運動ができる人なので。そのようにロープを結んで動き回らなければならないと、今も考えているというのです。自分の体は自分がーーーー。
(真のお父様の御言より 2009年1月2日 韓国 天正宮博物館)




わたしは心配性で、こうなったらどうしょう、ああなったらどうしようとか先の事をよく心配してしまいます。
お父様も船から落ちたらどうしようかと考えられると知り、心配のしすぎは体によくないけれど、準備は必要なのだと思いました。
七年の艱難にも、私たちは、はっきりとしたプランをもって乗り越えていかなければならないと思います。



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