honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

私が将軍になってさしあげよう

姸雅様のメッセージより


実は、この疑問が最近まで私を苦しめていました。ところが、世界会長が行われる聖霊治療礼拝を通してこの疑問が解けるようになったのです。
世界会長が聖霊治療礼拝のとき、罪について触れ、”罪というのは神様と真の父母様を傷つけることです。そして私たちが罪を犯さないようにする理由は、私の愛の主体を傷つけたくないからです。私が善良で良心的に暮らそうと努力するのは、天国へ行くことができるチケットを保障されるからではなく、それが私が神様と真の父母様を愛するという良い証しになるからなのです” と語ってくださいました。
そのとき私は、 ”私が善良に暮らそうと努力してきたことは、こんなに価値のあることなのだ” と悟るようになりました。そして、神様に私の人生を通して本当に喜びをお返ししたいと思うようになりました。そして、これからは、ある理由のために善良に暮らそうとするのではなく、私が主体的に選択して、善良で良心的な人生を暮らしたいと思うようになったのです。

それとともに私は深く悔い改めました。そして、私が神様と真の父母様の前に罪人であることを認めるようになりました。
本当に熱い涙を流しながら、私は自分の人生を幾度も振り返りました。すると、自分が自分でも知らない間に神様を恨み、真の父母様を恨みながら暮らしてきたという事実がとても大きく近づいてきたのです。
”私は罪人である。私は悔い改めなければならない” と思ったその瞬間、 一発たたかれたように神様が私に知恵を下さいました。それは、”どうして男だけが将軍にならなければならないのだろう。神様と真の父母様の前に私が将軍になってさしあげよう” ということでした


私たちが ”罪人” という言葉を考えるとき、旧時代的で重く、否定的な意味だと感じやすいと思います。自分を打って否定しなければならないことのように思いやすいのです。そして、”私が罪人であることを告白することは、自分の中にある細胞まで否定して憎悪しなさいということだ” と思ったりします。そのような単語であることを世界会長もよくご存知です。
しかし、初めから認めたくなく、考えたくない単語でも、その単語を踏まえてゆっくり自分を振り返りながら、自我陶酔や自己嫌悪に陥るのではなく、自分を照らしていたスポットライトを、神様と父母様に向けることを切実に願われている世界会長の志がそこにあるのです。
そして、私たちに全てを下さり、七死復活、八段完成の蕩減路程を行かれた真の父母様の前に、本当に悔い改めの喜びを、私たち全ての食口たちが感じることを世界会長は願われています。
(続く)
(姸雅様のメッセージより  2011年2月13日 韓国 天福宮大聖殿)




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