honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

神様の国と神様のみ旨がなしとげられますように

亨進様のメッセージより


今、日本は大きな危機の中にあるのではないでしょうか。そして、多くの人たちが祈りをささげています。しかし、どのような仕方でお祈りしているでしょうか。これが大切です。
韓国も昨年、一年の間に二回、北朝鮮によって大きな危機に直面しました。まず、哨戒艦”天安”を沈没させられ、四十六人が死にました。次に延坪島という所に砲撃を加えられました。これはほとんど戦争の直前、戦争状態ですね、ある一瞬に、北朝鮮が決定だけ下せば、ソウルを攻撃することができました。一触即発の危機にあったわけです。
そのような状況下で、お父様が ”麗水で精誠をささげなさい” とおっしゃって、私たちは麗水に行きました。
私はそこで食口のかたがたに、”韓国が安全になるように、韓国が今後も繁栄を続けるようにお祈りしましょう” とは言いませんでした。それは、私たちが願っていることにすぎません。私たちの願望なのです。”この国を助けてください。この国を生かしてください”。 そのような個人祈祷をする時間ではないのです。
先に祈るべきは、神様の偉大さ、神様が全てを主管されるということです。
私は韓国の食口のかたがたに次のように言いました。
”韓国、世界の地図から見ると、ピーナッツのような小さな国が、なぜ特別な神様の愛を受けなければいけないと思うのですか?
もしイスラエルが全ての摂理を完成させていたならば、韓国が中心国家になることはありえなかったのです。中東のイスラエルが中心国家です。
神様が選ばれた民族が、選ばれたからといって、全てのことが終わるわけではないのです。そこには責任が伴うのです。選ばれた民族には ”主を受け入れる” という責任があるのです。そうではないですか?


イスラエルは選ばれた民として、イエス様を受け入れる責任がありました。しかしイスラエルはイエス様を殺してしまいました。イエス様がお亡くなりになってから四十年後、ローマの軍隊が入ってきて、エルサレムを破壊してしまったのです。数多くの人々がそこで死にました。イスラエルの中心であるエルサレム神殿も、そのとき潰され、破壊されてしまいました。審判の日がやってきたのです。
ですから、その戦争が起こりかけている状況の中で、私たちはただ単に南北統一のために祈るのではなく、”神様の国と神様のみ旨が成し遂げられますように” と祈らなければいけないのです。私たちが願うからそれを祈るのではないのです。神様の願いを祈らなければならないのです。
(亨進様のメッセージより  2011年3月20日 東京)




七年の大艱難のなかに生きている私たちは、この艱難が軽く済みますようにと祈りたいですが、”神様の国と神様のみ旨が成し遂げられますように” と神様の願いを祈らなければならないですね。そして、私たちにできる食料や水、必要な物をその日のために備えましょう。



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