honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

宗教と真理の違い

私たちは昇華式や永世を得る祝福式を、私たちが何かをうまくやったから、成し遂げたから、受けられるのではないのです。私が素晴らしく、神様の法度を全て守った善人だから、祝福を受ける権利があるのではないのです。私が永世を受けることのできる根拠は、神様の恩寵にあるのです。
真の父母様の流された血は、私が流すべき血の代わりです。そのようにして蕩減を払ってくださっているがゆえに、私は神様の前に出ることができるのです。これが真理なのです。
宗教には二つの到達点があります。これは、真の宗教ではなくて、一般的な宗教の話です。
私が神様の前にいろいろな訓練をし、瞑想をし、お祈りをして、いろいろなことで功労を積んだので、神様の前に出ることができる、そのような思いを持って生きるので、傲慢になってしまいます。
あるいは、正直に自分を眺めるときに、私は法の全てには従っていないということを認めなければなりません。どんな宗教においても、その法度を全部守ったという人はいないのです。自分は偽善者であり、天の前に立つことができない人間であるということを悟るときに、絶望に陥ります。罪意識に陥ります。
ですから、一般宗教の到達点というのは、傲慢か罪意識、絶望です。
しかし真理は違います。真理は、私が神の前に出ることができる理由は私にあるのではなく、神様が送られた神の息子の蕩減、犠牲にあります。そのことを知っているがゆえに、その到達点は感謝と謙虚さです。喜びによって感謝します。これが宗教と真理の違いです。
宗教の世界では宗教の定めた法度を守る人を良い人、善人、守らない人は悪人、このように規定されてしまいます。
真理はそうではありません。真理とは、全ての人が神様の子女であるということを知っています。悔い改める子女も、悔い改めない子女も、両方とも子女です。神様の前に感謝する子女も感謝しない子女も、両方とも子女です。父母に傷を与える子女、あるいは父母を喜ばせる子女、これも両方とも子女です。
ただ、同じ子女であっても、悔い改めているか、感謝しているか、父母を喜ばせているかで、結果は全く違います。私たちは一般的な宗教になってはいけません。私たちは真理の宗教にならなければなりません。その真理の宗教を持ってこそ、私たちは全世界を統一することができるのです。
(亨進様のメッセージより 2011年3月20日 東京)




真のお父様に感謝して真理の道を歩みましょう。



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