honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

お父様の生活

ーー世界会長の真の父母様との体験についてお話しいただけますか?


 基本的に父母様と一緒にいて感じることは、真のお父様は生きた神様だということです。お父様は実体的な有形の神様であり、肉体的な限界を超越しておられ、十七時間や二十時間に及ぶ訓読会もなさるのです。
 お父様は二、三日に一度はそういう長時間の訓読会をなさいますが、私たちのような若い者にとってさえ、お父様のハードなスケジュールについていくのはとても難しいのです。そのおかたと行動を共にする体験というものは、正に他の誰にも味わえないものであり、あまりにも自分を変えさせられる体験なのです。
 神学的な観点から見ると、お父様は神様を解放され、昼の神様と夜の神様を解放され、神様の実体的な代身となられました。この地上における神様の体の立場に立っておられ、それゆえにお父様がご自身の体を供え物として動かしておられるのを目のあたりにしています。
 劉正玉先生が素晴らしい実例を示してくれました。劉先生がかつてブラジルにいたとき、お父様はある高い山に登られました。その山は登るのが非常に難しい山でした。
共に登ったリーダーたちがお父様に”お座りください”と申し上げて、一番良い場所にお父様に座っていただくために大きなタオルを敷きました。ところが、お父様は、”いや、私はそこには座らない”と言われ、一番良い場所ではなく、もっと慎ましやかな場所を選ばれ、そこにご自分のハンカチを取り出して敷かれ、その上に座られました。
 つまり、お父様は”自分がしたいようにはできない”ということであって、お父様が座られた場所というのは、神様がそこに座りたいと思われた場所だったことがリーダーたちにも分かりました。
 そういう意味で、お父様は一種の奴隷のようです。お父様のお体は神様のみこころの完全な道具なのです。ですから基本的にお父様はたとえご自身が苦しくても、神様がそう望まれるならば、こ自分の体に鞭打って、あちらこちらに動き回らなければならないのです。 (亨進様へのインタビューより 2011年9月1日 天正宮博物館にて)



このように神様の願われるごとく歩まれる真のお父様と、長年ともに歩んでこられたお母様は他の誰にも真似できない歩みをしてこられました。そのようなお母様を世界中の食口は心から尊敬し愛しています。昔のお母様に戻られる日がはやくきますように。



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