honkyouomotometeのブログ

一度きりの人生、あともどりもできない。
今日ベストの歩みができたらいいなあ。
思ったことを書いていきたい。

傲慢という罪

私は、お父様の指導は全て守って生きてきました。全て命令に従って私はここまできました。ガールフレンドもつくらなかったし、酒、たばこの問題、麻薬の問題も一切なく、お父様が ”祝福を受けなさい” とおっしゃったときに祝福を受けました。子供もたくさん生みました。私が生んだのではなくて、夫人が生んだのですが、私たち二人でつくったのですね。お父様がおっしゃるとおりにし、道徳的な責任を果たしてきました。


アメリカという社会の中で暮らしながら、それはたやすいことではありませんでした。アメリカの社会では、十六歳ぐらいになると皆それぞれガールフレンド、ボーイフレンドがいるわけです。デートしないのが異常な社会です。デートしないと、あの人たちはホモではないかと言われてしまいます。
私も人気はあったのです。でもお父様に ”女性が近づいてきたら足で蹴りなさい” と言われたので、本当に蹴りはしませんでしたが、そのように全女性を遠ざけて、追い出して生きてきました。それは簡単ではなかったのです。
ですから、私はこう考えていました。”一生懸命頑張ったから、一生懸命、お父様の法度に従ったから、私は義人であり、神の前に出る資格がある。真の子女であり、二世であり、原罪がなくて、法度を全て守ってきたから、私は天国に入る資格があるんだ、神の前に出る資格があるんだ、そして、食口のかたがたからも認められ、尊敬されるべきである”


しかし、それが大きな罪であったのです。それは傲慢という罪でした。原罪がないからといって、罪人でないわけではないのです。私には原罪がありません。そして真の子女です。二世でもあります。神様の子女でもあります。そして真の父母様の法度を全て守りました。しかし、それでも私は罪人だったのです。


それを認めるのが、私にとってはあまりにも困難でしたが、とても重要なことだったのです。なぜならば、これが正に宗教と真理の違いであるからです。
宗教は ”良いことをしたので、法度に従ったので、神様のみ言どおりに生きたので、神様のみ旨のためにこれこれのことをしたので、神様の前に出る資格がある” というふうに言います。真理はそうではありません。真理は、”あなたは罪人である” と語ります。
(亨進様のメッセージより 2011年3月20日 東京)





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